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2022.03.25 病院

Female to Male. 自認した性のままで生きていく

#セラピスト#理学療法士#病院

向井 優斗( 介護職からリハビリ職へ転身 )

「普通」という言葉の定義について違和感があった青春時代。愛する家族・充実した仕事・・・現在は、そんな「普通」の何気ない日常に優斗は幸せを感じる日々を送る。
向井 優斗(ムカイ ユウト)

資格:ヘルパー2級・理学療法士

教育熱心な家庭で育ち、勉強・習い事に明け暮れた幼少期

向井さんのご出身はどちらですか?

千葉県の浦安市です。

浦安といえばディズニー!それでお部屋にディズニーグッズがたくさんあるんですね?
はい。娘のオモチャです(笑)。

向井さんの幼少期はどんな子だったんですか?

ミニカーやフィギュアなどで遊ぶのが好きで、活発なタイプでした。でも、親や周囲の人たちの顔色をうかがっている気を使う子でもありましたね。

両親は、厳格で教育熱心でした。幼い頃から学習塾・書道・そろばん・公文式・英語教室・水泳・ピアノなどのたくさんの習い事をしました。3歳年上の姉が優秀で、必然的に追いかけていましたね。。

教養高い環境だったのですね。当時描いていた夢はありましたか?

勉強や習い事、部活など慌ただしく、将来の夢はあまり考えていませんでした。

サッカーに青春を捧げた十代

中学から高校は、どのように過ごされたのですか?

サッカー部に入部し、熱中していました!!

中高一貫の学校に進学したのですが、中学に入ってから成績が下がり始めました。私立の学校で、それなりに学力の高い生徒が集まっていたこともあり、成績が下落したように錯覚したのかもしれませんが。
部活はサッカー部に所属していました。この頃は、習い事も少なくなり、部活に熱中してました!!

反抗期はありましたか?

いや~それはなかったですね。タバコや万引きのような非行行為は一切やりませんでした。

 

心と体のあいだで感じていた不一致

では、思春期・・・は?

初々しく甘酸っぱい恋愛も経験しつつ、違和感を感じてました。

実は、元々の性別は女性なんです。幼い頃から、性別は女性だけど中身は男性として生きてきました。制服のスカートを履くのも妙な感じですし、恋愛対象は女性でした。

男性という性自認をし過ごされていたのですね。違和感は、性別と性的指向の違いによるものだったのですか?

そうですね。性の多様性の知見がなく、自分はレズビアンだと思っていました。ボーイッシュな髪形や服装をしていましたね。

そうした内容のお話は、人に言えましたか?

言えずに一人で抱え込むことが多かったです。将来は教師になり、勉強や部活のことだけでなく、生徒一人ひとりが抱えている悩みを聞いたり、辛い時に寄り添える存在になりたいと考えるようになりました。

「男は男らしく」とか「学生はこうあるべき」のような型にはめ込む教育に異論があり、真の意味で、個人個人を尊重できる教育者が必要だと思っていましたね。

高校卒業後は、どのような進路に進まれたのですか?

サッカーの推薦で某女子大学へ進学しました。

のちに女性から男性に性別が変わり、ややこしい問題を招きます。女子大卒という経歴は変わらず、
就職活動などで「女子大??」と突っ込まれるんです。

自認した性のままで生きていく

性について都度説明するのは、ストレスになりましたか?

どんな反応をされるかは警戒してしまいますね。。

幸いにも差別的な発言や扱いを受けたことはありません。

ハタチで男として生きることを決心し、名前を「優斗(ユウト)」に変更しました。
同時期に教育実習があり「FTM(=Female to Maleの略。生まれたときは女性としての性を割り当てられたが、男性として生きることを望む、あるいは生きているトランスジェンダーを指す言葉)の自分が教員になるってどうなのだろう?」と考えるようになりました。

当時、僕の知る限りではセクシャルマイノリティ当事者の教員はおらず、生徒や親御さんの反応・影響を考えると、現実的でないと思いました。
そんなとき、高齢者施設での実習で、やりがいや社会的需要から介護士の道を選びました。

介護士として、どのような働き方をされたのですか?

ヘルパー2級を取得し、有料老人ホームで働きました。

その流れでリハビリの仕事に興味を持ったのですか?

時系列ではそういう流れです。介護士として就労した時期とリハビリの専門学校に入学するあいだの25歳の時に性転換手術を受けました。戸籍は男性として認められましたが、元から自身のもつ性に従って生きてきました。「今日から男です。」と役所から通達がきても、なにかが変わったという実感は薄かったです。

その後、27歳で臨床福祉専門学校の理学療法学科に進学しました。

弱った人に寄り添う仕事を追求するため、理学療法士を志す

専門学校での生活はどうでしたか?

初めて男子学生として学生生活を送ることとなり、毎日楽しく過ごしました。

元女性ということをカミングアウトしてましたが、みんな屈託なく関わってくれました。授業で骨盤周囲や内転筋などきわどい部位の触診するときには妙な感じがしましたけど(笑)
 

学校卒業後はどのような進路に進まれたのですか?

急性期の病院に就職し、今もそこで働いてます。

 

以前は、整形の患者さんを中心にリハビリしていましたが、現在は中枢疾患の患者さん中心に診ています。

現在は、ご結婚もされているのですね?

はい。精子提供を受けて4歳になる娘もいます。普通の生活を送っていますよ。

「普通」の定義・・・

向井さんのいう「普通」とは、どのようなことですか?

特に深い意味を込めて発した訳ではありませんが・・・。普通の定義は人によって異なりますものね。

僕の場合、自分自身が育った家庭を基準として普通と言ったのかもしれません。理解ある父と温かく見守ってくれる母、頼もしい姉がいて、ありのままの自分がいる・・・何気ない家族の日常を普通と表現しているのかもしれません。現在の僕もそのような家族を築いています。

何気なく発する言葉の中に、その人が歩んできた人生で培った価値観や特別な意味が宿るものかと思って聞いてみました。

温かいご家族に恵まれ、とても幸せそうですね?

これまでさまざまな障壁がありましたが、今では家族と幸せな生活を送っています。

思い返せば、普通という言葉を追求し、その言葉の有する意味と自分の持つ価値観とのギャップで苦しんだこともありました。でも、思想は自由なので、個人によって「普通」のもつ意味が異なっても良いと思っています。

どこか満たされていないときは気付かなかったけど、そんな普通と呼べる日々の中にたしかな幸せがあると感じています。
 
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